新・御旨の道

●文鮮明先生「感謝と萬物の日」1987年5月 萬物の日

Author
fujio kim
Date
2019-05-31 17:45
Views
74

文鮮明先生説教
●「感謝와 萬物의 날」
(日本語, 6分半)
https://youtu.be/_w8FQ6MbNQ4

時:1987年5月28日
場:萬物の日
所:靑坡洞(チョンパドン)前本部教会



文鮮明(ムンソンミョン)先生:

今日(きょう)お話しする題目は、「感謝と萬物(ばんぶつ)の日」です。この内容で少しお話しいたします。

私たち統一教会ではこの世で守らない記念日を守っています。一番目が「父母の日」、二番目が「子女の日」、三番目は「萬物の日」、その次に「神様の日」、こういう日を記念します。

このような日が設定されたのは神様の救援摂理の御旨によるものです。しかし、神様がこの天地萬物を創られ、神様の愛を中心とした理想の住まいを中心として創造理想を建てましたが、その愛を中心とした理想実現というものは私たち人間と神様と萬物と全体宇宙まで連結させることができる愛の実践において失敗したのです。

堕落により愛の理想を成す事ができなかった。愛を中心として連結されるべき天と地が、また、萬物と人間が一つになるべきなのに、神様も萬物も人間も分かれてしまったのです。

堕落が何かと言うと、原理原則から離脱したのです。分立されたのです。離れて分かれたのです。神様の愛を中心として統一的世界が形成されるべきであるにも関わらず、堕落により神様と人間と萬物が分かれるという結果をもたらしたのです。

この萬物を創られ、この宇宙を創られたのは神様であったので、神様が創られた世界には堕落があるはずがなかったのです。これが問題です。

堕落がなぜ起こったかという問題を考える時に、これは愛がなかったから成す事ができなかったというのです。

つまり。愛というものは一人で成すことはできません。相対的関係において成されるのです。ですから神様と人間の関係においても、神様が絶対者ですけれども、その絶対者の前に愛が成される為には対象が必要なのです。その対象は生まれてから幼い時には、そのままではその愛の理想相対になることができないのです。生まれて成長して成熟される時まで、期間を通じていって、神様が願った愛の対象圏がなされるのです。

その愛の対象が成される時、全ての地上世界や萬物世界も人間を中心として完成されるのです。人が完成されなければ、萬物も未完成に終わるのです。

では、人の完成は何を中心として連結されるのか。愛です。人と言えば男子と女子です。男子と女子を永遠に結ぶことができる力は何であろうか。それはある趣味でもなく、ある物でもなく、知識でもなく、理念でもありません。愛だけが!永遠に結束させることができるのです。

人はなぜ生まれたのかと言うと愛のため生まれた。生まれ始めたのも愛の出発の為に。父母の愛を中心として愛が一つとなったその土台の上に私達の生命が連結されるのです。そのように見る時に、私達が人間が生まれる前に愛があったのです。

さらに考えると、私が生まれる前に愛があったのと同じように、私達人類の先祖の命が生まれる前に何があったのかと愛があったのです。神様の愛からその実践場に生まれたのが私達人間なのです。

その愛から始まったので、私達人間は愛の結実を結ばなければならないのです。種を蒔(ま)いたら収穫されなければならず、出発したら帰らなければならないという循環原理による反復と同じように、愛から出発したものは愛の対象を中心として成熟しなければならないのです。それが宇宙が統一され理想圏を成していく自然的な現象である。こう見るんですね。

ですから神様を中心として創られた全てのものは神様の前に方向を置くべきなのです。

では、神様を中心としてすべてが創られましたが、神様は何を願って創られたのか、神様も愛を願われた。(しかし)神様自体にある愛を持っては刺激を感じることができません。

女子達は愛があるの?男子達は愛があるの?どんなに自分に愛があると言っても、男子の前に対象となる美人が現れ、女子の前に対象となる男子が現れてこそ動くのです。一人で鏡を見て、「ああ、私の顔は綺麗だ」、「ああ、自分が自分に酔ってしまう」、「私の為に死にます」と自分に誓えますか。できません。相対的関係の愛を中心として、生死圏を越えて動く事のできる流動的な力が作用してその全体を上げたり置いたり、上げたり置いたりするのです。どんなに体が大きい男子もどんなに体が小さい女子でも、上げたり置いたりできるのです。では、何がそれをさせるのか?女子の力ではありません。何ですか?愛!愛。