✳️2019年1月24日(木曜日)

✳️2019年1月24日(木曜日)
✳️天基9年・天暦12月19日

🔷今朝のみ言葉🔷
愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚きあやしむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。
(新約聖書.ペテロ第一の手紙.第4章12-14節より)

[山口聖殿ニュース]

1️⃣ おはようございます。🌅🎍☃️🐇
朝、早朝。静けさが辺りを包んでいます。1月の日も一日一日が進んで行きます。いつの間にか、もう24日目の朝となりました。
今朝の聖句は、ペテロ第一の手紙からですが、キリストの名のためにそしられるなら、あなたがた幸いである…との言葉が心に残ります。ある意味では、実に奥深い言葉です。
原理を学び、再臨主であるお父様に出会い、入信して、どれだけの歳月が流れたでしょうか。そしてその中で、どれだけキリストの名のために人の誹り(そしり)を受けてきたのでしょうか。
誹りとは、悪口、陰口、悪態、誹謗、中傷などを語ります。人からそのような言葉や虐待の数々を受けることは歓迎すべきことではなく苦しいばかりなのですが、そのような誹りを受けてはじめて、栄光の霊や神の霊に出会える道があるのだとペテロは語ります。
ペテロもまたキリストの名の故に、多くの誹りを受けてきたに違いありません。その数限りない誹りの中で、栄光の霊や神の霊に出会いながら、より深くキリストを実感してきたペテロであったことでしょう。
私達もまた、お父様や二代王様の故に受ける誹りを恐れる者であってはなりません。お父様や二代王様故に受ける火のような試練や誹りの一つ一つこそが、私達に真なる喜びを与えてくださる神様からの賜物であり、私達を生かす道であるに違いないのです。ある種、キリスト者とは、そのように生きて来た者達なのです。
人から歓迎される道は確かに素晴らしいのですが、神様から歓迎される道に立たなければ、最後は虚しさが残ります。人生の終わりが近づく日々になれば、人からの誹りこそ栄光であり宝であったとのペテロの言葉は、真実なる言葉の響きと共に私達の心を打つのです。