✳️2019年1月22日(火曜日)

✳️2019年1月22日(火曜日)
✳️天基9年・天暦12月17日

🔷今朝のみ言葉🔷
あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせてくださったのである。
(新約聖書.コロサイ人への手紙.第1章21-22節より)

[山口聖殿ニュース]

1️⃣ おはようございます。🌅🎍☃️🐇
今朝も青空の広がる良き朝です。外に出れば冷たい心地よい空気に包まれ、正気を取り戻します。
今朝の聖句はコロサイ人への手紙からですが、イエス様の十字架の死の恩恵について語る聖句です。イエス様が十字架の死をとおして、私達を神と和解させてくださった…との言葉なのですが、確かにキリスト教は、その十字架上のイエス様を仰ぎ見る宗教として世界的な発展を遂げて来ました。
かつて荒野にあったイスラエル民族が、不信仰をして神を呪っていった際に、火の蛇が現れてイスラエル民族を噛み殺していったというのです。人々はモーセに救いを求めますが、モーセが神に祈ると、青銅の蛇を作ってそれを竿の先に掲げよ!との指示を受けます。
そして、それを仰ぎ見た者達は火の蛇の害から救われたというのですが、イエス様もまたイスラエルの民の不信仰によって十字架上に上げられてしまいました。しかし、その十字架上のイエス様を仰ぎ見る、その血の贖罪を信じる信仰により、私達がサタンの弊害、火の蛇の攻勢から逃れられていることも事実なのです。
この手紙の中で、パウロは語ります。イエス様の十字架の死をとおして神との和解があるのであり、聖なる傷のないサタンに責められるところのない者となって神のみ前に立つことができるのだ…と。
これらは、ある意味で、理性を超えた世界にあるものです。理性や理屈だけが全てではありません。理性を超えた世界の中にある神の救いの心情に帰らなければ、私達自身が神の前に立つ道はないのです。
理性的に自分が得心しなければ信じない…とする姿勢は、それ自体否定されるものではありませんが、そうすれば、全ての基準と責任は自分に帰します。自分を超えて神に委ねる姿勢が必要とされる時、荒野で滅んで行く者とならないためには、青銅の蛇を仰ぎ見る愚かさも私達には必要な時があるのです。