✳️2018年12月30日(日曜日)

✳️2018年12月30日(日曜日)
✳️天基9年・天暦11月24日

🔷今朝のみ言葉🔷
祭の大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。

すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。
(新約聖書.ヨハネによる福音書.第7章37-39節より)

[山口聖殿ニュース]
今日は2018年度最後の聖日礼拝です。お集まりください。

1️⃣2️⃣ おはようございます 🧤🤶🎂🐇
2018年度も、今日と明日を残すのみとなりました。外にはパウダーをまぶしたような白い雪が、大地をうっすらと覆っています。
今朝の聖句は、今年何度となく亨進二代王様の聖霊の役事における聖句として聞いてきたみ言葉です。
聖霊の恵みが、腹の底から、生ける泉の水のように吹き上げて来るのだ!…それが聖霊の働きであり恵みだ!…その腹から吹き出る泉の水は川となって流れ出るのだ!…と、私達は何度も聞かされてきたのです。
聖霊の泉の水が川となって流れ出るほどの世界、その泉の水によって数多くの乾いている人々が潤される世界、その世界とは、どれ程の恵みの領域であるのでしょうか!
今年の私達の心の中には、フロリダのロドニー・ブラウン牧師の姿が焼き付けられました。あるいは、クック牧師の姿が焼き付けられました。そして何よりも、サンクチュアリ本部教会で聖霊を施して行かれた亨進二代王様の姿が焼き付けられました。
鉄の杖と聖霊、私達はこの二つのものをどのように使いこなすことができる人間になるべきなのでしょうか!
聖句を見ると、
“これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。”
とあります。
これを見れば、イエス様の栄光と御霊、すなわち聖霊の恵みは、イエス様の十字架の後に現れる復活と共にもたらされる恵みであり栄光であることが読んで取れます。
とすれば聖霊の恵みは、イエス様の十字架の代贖という血の条件の後にもたらされた神様の愛と栄光の世界であるに違いありません。
イエス様は私達のために死なれた!
お父様は私達の罪の代価のために死なれた!
この何とも言えない不条理を、心情の中に受け止めてこそ始めてもたらされるのが聖霊の役事であったしあるに違いない…と、どこかそのように思う朝です。

“われわれはみな羊のように迷って、
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、
彼の上におかれた。
彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、
口を開かなかった。
ほふり場にひかれてゆく子羊のように、
また毛を切る者の前に黙っている子羊のように、
口を開かなかった。”
(イザヤ53/6-7)

このような、イエス様やお父様の死の代価を払ってもたらされた鉄の杖であり聖霊の恵みであることを、しっかり捉えて2019年度に向かう私達でありたいと心から思う朝です。