✳️2018年12月20日(木曜日)

✳️2018年12月20日(木曜日)
✳️天基9年・天暦11月14日

🔷今朝のみ言葉🔷
罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである。すべて神から生まれた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生まれた者であるから、罪を犯すことができない。

(新約聖書.ヨハネの第一の手紙.第3章8-9節より)

[山口聖殿ニュース]

1️⃣2️⃣ おはようございます 🧤🤶🎂🐇
夜が明けてもなお暗い曇りの朝です。無言で人も車も走り去ります。
2018年もあと10日余りとなりました。もちろん天暦の10年目を迎えるまではまだ45日間ほどの時を残しています。国際情勢もイスラエル第三聖殿建設の動向も、いよいよ終末的な情勢を迎えるかの様相を呈してきています。
今朝の聖句はヨハネ第一の手紙からですが、罪を犯す者は悪魔から出たものである!との率直な言葉が印象的です。悪魔から出た者は、悪魔の業を行うというのです。
それに対して、神の子が現れたのは、悪魔を滅ぼしてしまうためである!と、その神の子の役割を明確にするのです。これまた、実に率直な言い回しです。
そうして聖書は語ります。全て神から生まれた者は罪を犯さない、神の種がその人のうちに留まっているからである!というのです。神の種、その種を持った方、その方こそ神の子たるキリストであるというのです。
私達はどうでしょうか?神の種を持っているでしょうか?それとも、悪魔の種を持っているでしょうか?
もしも悪魔の種を持っているとしたならば、その種を全部捨ててしまって、新しい神の種を掴み、その種を自分自身の心の内底に植えて行きたいとは思わないでしょうか?
2000年前イスラエル民族は、神の種を持って世に現れた神のひとり子を、その種を繁殖させずして十字架に架けて殺してしまいました。
キリスト教は、そのイエス様の十字架を、血の燔祭であり人類の罪の贖いのために捧げられたる子羊の祭物であるとして旧約時代の最後の燔祭と位置づけ、イエス様の十字架を仰ぎ見ることにより自らの罪の贖いとするというキリスト教の信仰の道を切り開いて行かれました。
十字架を信じる信仰により、神の種を霊的に自分自身のものとする道を切り開いてきたキリスト教であったというのです。
私達はどうでしょうか?神の種がしっかりと自分自身の中に植えつけられていると言えるでしょうか?何より大切な神の種をいかに掴んで生きるのか?そんなことを曇りの中に思う朝です。