✳️2018年11月3日(土曜日)

✳️2018年11月3日(土曜日)
✳️天基9年・天暦9月26日

🔷今朝のみ言葉🔷
確かに偉大なのは、この信心の奥義である。
「キリストは肉において現れ、
霊において義とせられ、
御使たちに見られ、
諸国民の間に伝えられ、
世界の中で信じられ、

栄光のうちに天に上げられた」。
(新約聖書.テモテへの第一の手紙.第3章16節より)

[山口聖殿ニュース]
山口聖殿ホームページ・sanctuary-y.org
(※新着パーカーの案内があります)

1️⃣1️⃣ おはようございます 🥜🍃🎻🐿
聖書にレビ記という難しい書があります。とても読みにくくうんざりする章が続きます。
その中には、燔祭がどうのこうの、罪祭がどうのこうの、酬恩祭がどうのこうの…などの難解な言葉が続きます。
これは、罪を清算する方法を神様がユダヤの民に教えた方法なのですが、原理的に言うならば、いわゆる蕩減法の説明です。
ですからこの中には、
“わたしはあなたがたの神、主であるから、あなたがたはおのれを聖別し、聖なる者とならなければならない。わたしは聖なる者である。地にはう這う者によって、あなたの身を汚してはならない。”(レビ記11/44)
との言葉が見られます。
神様が聖なる神であるので、神の民であるあなたがたは聖別された聖なる者となれ!との教えです。決して地に這っている這うもの、すなわちサタン=蛇によって身を汚してはならないとの教えなのです。
しかし、もしも堕落して罪に陥ったならば、いわゆる供え物を捧げて主の前に悔い改めなければならないのですが、その悔い改めの方法が事細かくレビ記には書かれているのです。
そういうレビ記の究極に、
“肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。”(レビ17/11)
という聖句があります。
肉の命は血にあり、神様がこの血を、人々の罪の贖いのために祭壇の上であなたがたに与えた…とあります。
ここに神様が、人類の救済のためにイエス様を十字架の供え物とされたとの根拠があるのです。
今朝の聖句に、
“キリストは肉において現れ”との表現があります。
肉において現れ、十字架の血の贖いによって、自ら人類救済のための祭物となって行かれたイエス様であったというのです。
従って、イエス様は私の罪ゆえに十字架に行かれたのであり、イエス様の十字架はわが罪のためで、その血の代価を払って私を救って下さった…との根拠を私達は聖書の中に見出してゆくのです。
聖霊は、イエス様の相対に立つ立場です。ですから聖霊の役事は、イエス様による役事でもあるのです。従って私達は、聖霊とともにイエス様を仰ぎ見なければなりません。
その方は、
「キリストは肉において現れ、
霊において義とせられ、
御使たちに見られ、
諸国民の間に伝えられ、
世界の中で信じられ、
栄光のうちに天に上げられた」。
という、その人自身であるのです。