✳️2018年10月23日(火曜日)

✳️2018年10月23日(火曜日)
✳️天基9年・天暦9月15日

🔷今朝のみ言葉🔷
神よ、わたしをさばき、
神を恐れない民にむかって、
わたしの訴えをあげつらい、
たばかりをなすよこしまな人から、
わたしを助け出してください。

あなたはわたしの寄り頼む神です。
なぜわたしを捨てられたのですか。
なぜわたしは敵のしえたげによって、
悲しみ歩くのですか。
あなたの光とまこととを送ってわたしを導き、
あなたの聖なる山と、あなたの住まわれる所に、
わたしをいたらせてください。
その時わたしは神の祭壇へ行き、
わたしの大きな喜びである神へ行きます。
神よ、わが神よ、
わたしは琴をもってあなたをほめたたえます。
わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。
何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。
神を待ち望め。
わたしはなおわが助け、
わが神なる主をほめたたえるであろう。
(旧約聖書.詩篇.第43篇1-5節より)

[山口聖殿ニュース]
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🔟 おはようございます 🍏🍁🦈🚴‍♂️
銀杏の葉が黄金の光を輝かせ始め、たなびく雲は朝焼けの光を浴びて色を増しては消えて行きました。
今朝の聖句は詩篇からですが、預言者サムエルによってアノインティング、油を注がれて以降のダビデの道は、栄光と苦悩、危険と克服という生死の境を辿る道の前に立たせれ続けました。
亨進二代王様もまた然りで、お父様によって油を注がれて以降、栄光と困難、そして苦悩と危険、驚くべき奇跡と勝利、絶望と希望とに綴られた道を辿りつつ今日に至っているのです。
今朝の聖句を見るときに、それはダビデの詩であるとともに、そのまま亨進二代王様の詩のようにも見えてきます。
“神よ、わたしをさばき、
神を恐れない民にむかって、
わたしの訴えをあげつらい、
たばかりをなすよこしまな人から、
わたしを助け出してください。”
神を恐れない家庭連合の民達は、亨進二代王様の沈黙を破って発せられた訴えをあげつらいました。そして今日、謀り(たばかり)を起こし、よこしまにも統一マークの使用権をもって亨進二代王様を告訴するという暴挙に至りました。
そのような観点から後の聖句を見てみると、
“ああ神よ、わたしを助けてください。
あなたはわたしの寄り頼む神です。”
そのような亨進二代王様の祈りが聴こえてくるようです。
荒野に立ち、荒野の服を着て、荒野で革で作った王冠を頭に巻き、荒々しく鉄の杖を持って、剣を振り下ろされる亨進二代王様です。
“神よ、なぜわたしを捨てられたのですか。なぜわたしは敵のしえたげによって、
悲しみ歩くのですか。”
そのような祈りを、亨進二代王様はその荒野で捧げなかったでしょうか?立たされた現実の前に、呆然と佇む時はなかったでしょうか?
しかし二代王様は、
“あなたの光とまこととを送ってわたしを導き、あなたの聖なる山と、あなたの住まわれる所に、わたしをいたらせてください。その時わたしは神の祭壇へ行き、わたしの大きな喜びである神へ行きます。神よ、わが神よ、わたしは琴をもってあなたをほめたたえます。”
私達は、亨進二代王様が、その真の神様と真のお父様とを、大きな喜びとしておられる事実を知っています。その喜びが、亨進二代王様の力の源であられることを知っています。
今や二代王様のおられるペンシルベニアは、聖なる山となり、とこしえの地となってまいりました。多くの若者達がその地へと行き、その地で神の訓練を受け、その地に祭壇を立てては神様を褒め称えているのです。
“わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。”
そのような祈りを捧げておられる二代王様ではないかと思う時、私達もうなだれることなく、自分自身の中で思い乱れることなく、神様を待ち望み、主なる神を褒め称えて前進して行きたいものです。