✳️2018年10月17日(水曜日)

✳️2018年10月17日(水曜日)
✳️天基9年・天暦9月9日

🔷今朝のみ言葉🔷
あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである。

(新約聖書.マタイによる福音書.第6章19-21節より)

[山口聖殿ニュース]

🔟 おはようございます 🍏🍁🦈🚴‍♂️
穏やかに晴れ渡った朝です。陽の光を浴びて、銀杏の木が黄金に輝きを放ち、庭の木立の葉っぱも赤みを増して風にそよいでいます。
今朝の聖句は、天に宝を蓄えなさいとのマタイ伝の中のよく知られた聖句です。
実際私達はその人生の中で、いろんな沢山の宝の山を積み上げたいと努力していますし、いろんな人がいろんな宝を積み上げては自慢するのであり、また誰しもが最高の宝を得たいと考えているのです。
ところで、一体何が人間における最高の宝であるのか…ということにおいて、イエス様の言葉は社会の人々の考え方に一石を投じました。
“あなたの宝のある所には心もある…”
すなわち真実の宝とは、“心”という世界を伴うものであるという考えです。
さらにその心という世界を語るにおいてイエス様は、
“天に宝を蓄えなさい!”
とも語っておられるというのです。
地上の宝ではなく、天における宝こそが最も尊いというのです。
それは一般的には、虫も食べるし、錆も付くし、盗っ人達に狙われるようなものに執着しがちな人間の性に対する警告の言葉でもあるというのです。
ではイエス様は、その生涯において、どのような宝を積まれた方であるのか?ということなのですが、皆さん、イエス様はどのような宝を積まれて後世に残して行かれたと言えるのでしょうか?
それは何かイエス様が最後の晩餐で使われた聖杯でしょうか?あるいは十字架の磔にされたイエス様の死体を包んだと言われる聖骸布でしょうか?あるいはまた、鞭に打たれたイエス様に一時的に着せたと言われている紫の衣でしょうか?
今日私達が知っているイエス様が残された大いなる宝とは何かと考える時に、それは何か形ある物というよりも、イエス様が語られた福音のみ言葉であり、イエス様の十字架の祈りであったり生き様であったりするのです。しかもそれらは今日の私達においてさえ、永遠不滅の輝きをもって私達に人間としての豊かさをもたらす要因ともなっているというのです。
さて今日私達は、真のお父様が数多くの宝を残されて霊界へと召されて行かれたことを知っています。その中のどのような宝に対して、私達は貴重に思い大切にして行くべきなのでしょうか?
真実なる宝を見分けるためには、私達にも真実なる心が必要とされます。その心の世界から、曇りの世界が取り払われて真実なる宝を見分ける力を持てる者でありたいと願うばかりです。