✳️2018年10月16日(火曜日)

✳️2018年10月16日(火曜日)
✳️天基9年・天暦9月8日

🔷今朝のみ言葉🔷
キリストは、罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをする方に、いっさいをゆだねておられた。さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、

十字架にかかってわたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。
(新約聖書.ペテロ第一の手紙.第2章22-25節より)

[山口聖殿ニュース]

🔟 おはようございます 🍏🍁🦈🚴‍♂️
昨日は早朝から、船に乗って海の上にいました。風も和らいで、波も穏やかな海に漂い、釣りをしていました。
その船の中には、バプテスト教会の牧師さんと青年指導者とが一緒でした。特別原理の話をしたわけでもない、ただ知り合っただけの私達なのですが、そこにはイエス様を救い主と信じ愛することのできる共通の言葉と心情とがありました。
その青年指導者の竿に、特別に大きな当たりがヒットしました。その魚を獲得すべく必至に皆で40分ぐらいにわたって奮闘したのですが、遂にラインブレイクしてその魚をゲットすることはできませんでした。
結局その魚は幻の魚になってしまったのですが、今度再び、あの幻の魚を手にしようと固い握手をして別れました。
その方々と船上で話す時に、同じ神の戦士としての私達と共通の課題や悩みや苦しみを抱えている人たちであることを知りました。しかし同時に、それらを克服して立ち上がって行こうとする信仰の輝きと誇りもまた持っている人達でした。
いずれ私達には、“イエス様を愛し信じる”という共通の言葉と讃美とがありました。その言葉が信頼というパワーを私達にもたらしてくれました。それらのことを思う時、聖霊の役事の恵みと力の偉大さを感じる思いでした。すなわちその力とは、私達を篤実なクリスチャン達と一つの兄弟姉妹にさせようとする親なる神様の大いなる愛の力であるように思いました。
最後彼らは、私達の「天一号」であるgood go ボートを、一生懸命洗って掃除して心ある奉仕の姿を示しながら帰って行きました。
さて今朝の聖句なのですが、ペテロは、イザヤ書53章の言葉を引用しながら、キリストの恵みについて私達に語りかけています。その中で、
“私達が罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって私達の罪をご自分の身に負われた。”
とあります。
これはキリスト教の真髄を語る言葉なのですが、私達は本当にこの言葉の理解者になって行かなければなりません。イエス様の十字架の責任を自分自身の中に見ることができなければ、真なる意味でキリスト者とは言えないのです。
さらに聖書には、
“その傷によって、あなたがたは癒されたのである。あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は魂の牧者であり監督である方の元に立ち帰ったのである。”
イエス様の十字架の傷によって私達が癒される…というこのことの意義は、私達人間の立場からすると理解しがたい事のように思えます。
しかし神様の立場から見る時に、それらをサタンとの交換条件にしていったという意味は理解出来るのです。実はそこに神様の私達に対する愛があるというのです。