✳️2018年10月8日(月曜日)

✳️2018年10月8日(月曜日)
✳️天基9年・天暦8月29日

🔷今朝のみ言葉🔷
このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。
(新約聖書.ルカによる福音書.第6章12-13節より)

[山口聖殿ニュース]

🔟 おはようございます 🍏🍁🦈🚴‍♂️
美しい朝焼けの雲が空に浮かんでいます。露を帯びた木々の葉がキラキラと朝日に輝き、濡れた露草からは湯気が立ちあがっています。
今朝の聖句はルカ伝の記述ですが、イエス様が徹夜で祈られ、12弟子を定めて行かれた話があげられています。
徹夜の祈りという世界は、数多くの宗教人達も経験してこられた世界です。それは真のお父様においても、あるいは亨進二代王様においても、私達はその証を数多く聞いてまいりました。
イエス様も神様が恋しかったに違いありません。神様の愛の懐を求め、神様の意思を感じ、神様のみ旨の中に生きたいイエス様でした。
イエス様の徹夜の祈りは他の場面でも見受けられ、洗礼ヨハネの首が飛んだ時や、十字架を目前にしたゲッセマネの時もまた、イエス様は徹夜で必死に神様のみ前に祈りを捧げて行かれました。悩みある時や苦難の時、或いは絶望の場においてさえ、祈りの世界から数多くの恵みと導きと力とを得て行かれたイエス様であったに違いないのです。
祈りの世界とは、私達にとってはどのような世界であるのでしょうか?神様は霊なる神様なので、私達もまた霊の語らいの世界で霊なる神様に出会って行かなければなりません。
お父様も祈りの方であり、祈りを通じて数多くの涙も流され、決意もされて行かれました。どれ程までに神様を愛し神様とともに生きることを誓い立てて行かれたお父様であったのか計り知れないのです。
そして亨進二代王様においても、その荒野の生活において、濡れて凍った身体の中でさえ数多くの徹夜の祈りを神様に捧げながら、イエス様を掴みお父様を掴んで涙して行かれた二代王様であったに違いありません。
神様は霊なる神様なので、私達もまた聖霊の役事をもって神様に通じながら生きて行かなければなりません。朝になれば陽が昇り、鳥達も一斉にさえずりはじめます。そうして祈りの時を終え、立ち上がって行くような道を私達もまた歩んで行きたいものです。