✳️2018年9月30日(日曜日)

✳️2018年9月30日(日曜日)
✳️天基9年・天暦8月21日

🔷今朝のみ言葉🔷
正しい者のこうべには祝福があり、
悪しき者の口は暴虐を隠す。
正しい者の名はほめられ、
悪しき者の名は朽ちる。
心のさとき者は戒めを受ける。

むだ口をたたく愚かな者は滅ぼされる。
まっすぐに歩む者の歩みは安全である。
しかし、その道を曲げる者は災にあう。
目で、めくばせする者は憂いをおこし、
あからさまに、戒める者は平和をきたらせる。
正しい者の口は命の泉である、
悪しき者の口は暴虐を隠す。
憎しみは、争いを起し、
愛はすべてのとがをおおう。
(旧約聖書.箴言.第10章6-12節より)

[山口聖殿ニュース]

9️⃣ おはようございます 🍇🌾🌙🐎
昨日から雨が降り続いています。これから風も激しくなるのでしょう。2018年の9月の時は、台風に始まり台風に終わる感じです。何を示唆するのでしょうか?悟るべきことがあるとしたなら、悟って行きたいものです。列島の無事を祈るばかりです。
9月最後の日のまだ暗き朝、聖書を開くとそこには箴言の言葉があり、読めば、
“憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう!”とありました。
確かに然りです。憎しみは争いを起すあらゆる要因となることは私達の知るところであり、この“憎い”という精神構造は、“嫌い”という精神構造を超えたところに存在する、ある種独特な、人間の中にあるどす黒い感情です。この憎しみを超えたところに生きなければならないという宿命を背負っているのが、実は人間であるとも言えるのです。
そんな人間にとって、愛は全てのとがを覆うという言葉は救いです。究極の世界です。全てのとがを覆い尽くせるほどの愛に触れて行くときに、人は憎しみの世界から解放されて行くことができるのですが、果たして人間はそのような愛の世界を知らないままに生きて来たのです。
しかしそこにキリストが現れ、人々が憎しみ故に彼を十字架につける時に、“父よ彼らを許したまえ!彼らは何も知らざればなり!”(ルカ伝23/34)との、彼等の罪をとりなすイエス様のとりなしの祈りを聞いたというのです。
今日、私達のまわりには、尚且つ争いの火種が残されています。さらには、争いの要因である憎しみの火種を振りまこうとする者達や勢力さえもあるのです。
とすれば、今こそ真の愛が必要な時代でもあるというのです。如何にすれば私達一人一人がキリストに似た者となって行けるのか…。その為には聖霊の役事が不可欠でもあるのです。何故なら、聖霊の役事は、私達をしてキリストに似た者となさしめる偉大な力を持つからです。
今日は、やがて雨も風もピークの時を迎えて行くことでしょう。しかしその時を乗り越えて、私達はその先にある10月1日の新たなる一日の陽の青さと光とを浴びて行きたいものです。