✳️2018年9月25日(火曜日)

✳️2018年9月25日(火曜日)
✳️天基9年・天暦8月16日

🔷今朝のみ言葉🔷
イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。それを見てイエスは憤り、彼らに言われた、「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。

(新約聖書.マルコによる福音書.第10章13-16節より)

[山口聖殿ニュース]

9️⃣ おはようございます 🍇🌾🌙🐎
東の東の空にはまだ雲があるのですが、西の空には青空が見られます。庭の彼岸花が赤い花の冠をつけて誇らしげに咲いています。
あらためて聖霊の役事について考えてみる時、私達はいつの時でも聖霊の役事の恩恵の中に生きて生かされてきた者達であるとつくづく思うのです。
今この二代王様の元に集い得ているこの事それ自体が、聖霊の役事そのものであるとも言えるでしょう。健康でいられること、平安でいられること、慰めも愛の力も生きる活力も、ある種私達は多様な聖霊の役事の恩恵の中にある存在なのです。
私達はある意味で、素直に穏やかに亨進二代王様を正しく王様であるとして受け入れ敬愛してきました。その方がどこにおられようと、どんな生活の中に立っていようと、お父様が定められたお父様の後継者・相続者・代身者であるとするならば、その方を心情の中心として迎えることにいささかの迷いもなかったのです。その意味では、亨進二代王様の前に立つ私達は、幼な子のような存在でもあるとも言えるのです。
王冠と言われれば王冠を被り、鉄の杖と言われれば鉄の杖を手に取り、今また聖霊の役事と言われれば聖霊の役事を訪ね求める幼な子のような私達です。しかし、たとえそんな幼い私達であったとしても、それらの一つ一つがやがて自分自身の中で意味を持ち、その真実の意義と価値を表すことができるような私達にやがて成長して行くと信じるのです。そして事実私達は、確実に王様によって育てられて神の国の民の一人として生命の書に書き記されてもいるのです。
私達は今後においても、聖霊の役事を信じ愛し祈り求め続けます。聖霊のあるところにはイエス様がおられお父様がおられ神様がおられるからです。全ては神様の愛から出発した世界なのです。