✳️2018年9月12日(水曜日)

✳️2018年9月12日(水曜日)
✳️天基9年・天暦8月3日

🔷今朝のみ言葉🔷
また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。

(新約聖書.マルコによる福音書.第4章30-32節より)

[山口聖殿ニュース]

9️⃣ おはようございます 🍇🌾🌙🐎
空には雲があり、湿度もあって、少し重たい朝です。しかし雲の間に間に、朝の光が差し込んでいます。
今朝の聖句は、よく知られるイエス様の言葉です。
マタイ伝の17章の20節には、
「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。」
とも語られ、イエス様は、このからし種の譬を何度か語って行かれたというのです。
今朝の聖句の中では、イエス様は、神の国についての譬の中で語られます。神の国はどこから生じるのか?ということなのですが、それは一粒のからし種のようなところから生じてくるのだ…との教えでもあるのです。
このからし種ですが、それは1ミリにも満たない小さな種と言われています。その小さな種が植えられると、2〜4メートル以上にも達するハーブ系のクロガラシの木となり、そこからマスタードなどに使われる種がまた出来てくるのですが、そのからし種、それを神の国の譬として使っておられるのです。
この言葉は往々にして、わずかな信仰でも大きなことを成し遂げることを語る際に使われたりするのですが、実際イエス様の思いはどうだったのでしょうか?
ふと今日は、イエス様はご自身を、一粒のからし種に見立てていたのではないかと思いました。すなわち、神の国の出発の原点は自分自身であるという事実です。神の国とは、イエス様お一人の誕生と完成から出発するという原理です。
確かに、多くの人間達の生存と存在から考えてみると、イエス様といえども一人の小さな人間一個人でしかないのだけれども、そのイエス様お一人の中に、神の国の種の要素の全てが入っているというのです。
そのような観点からすると今朝の聖句などは、神の国は私(イエス)の中にあるのだから、私を信じて従って来なさい…との言葉のようにも聞こえるのです。
真のお父様や亨進二代王様を観察してみても然りです。神の国は、すでにその人の中に有るのです。すでに有る神の国を実現して行くだけなのですが、そのためには信じて従いついてくる人々の信仰が必要とされます。すなわち、たとえイエス様や真のお父様、あるいは亨進二代王様といえども、信じ従いついてくる者達の信仰が無ければ神の国の建設には至らないのです。ここに苦悩があるのです。
さて一粒のからし種は地にもたらされ植えられました。あとは、土壌さえ良ければ、荒らす憎むべき者さえいなければ、その木はすくすく育つのです。私達がなすべき信仰とは、その木が健全に育つことができるようにサポートして行くことなのです。それこそが私達の信仰でもあるのです。