✳️2018年8月9日(木曜日)

✳️2018年8月9日(木曜日)
✳️天基9年・天暦6月28日

🔷今朝のみ言葉🔷
兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。また、みな同じ霊の食物を食べ、みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。

(新約聖書.コリント人への第一の手紙.第10篇1-5節より)

[山口聖殿ニュース]

8️⃣ おはようございます 🍧🏊‍♀️🏕🌻
今日の関東地方には、台風の風雨が吹き荒れそうですが、山口の空には青空があり、猛暑日が続きそうです。この暑さの中、庭すそに植えたローズマリーは青い花を咲かせて暑さに耐えています。
ローズマリーは冬の寒さにも耐えて、私達に香りを届け静かな力強さを届けてくれます。緑のマツの香りにも似た匂いには、どこか真のお父様の香りを偲ばせる想いが伝わり、キリストの残り香を感じさせるのです。
今朝の聖句はコリント書の一節ですが、モーセとともに出エジプトを果たしたイスラエルの先祖の話の中からパウロが私達に語りかける内容です。
この中で、一体パウロは何を語りたかったのでしょうか?
この書の続きを読んで見ると、偶像礼拝者になってはならない…といった話が続き、荒野でイスラエル民族がアロンに金の仔牛を作らせて踊り戯れ、それによる不品行によって倒された者達が一日に2万3千人にも及んだ…などと記されています。
最近の亨進二代王様の説教の中にも、偶像礼拝に対する分析があり偶像礼拝を諌める話がありましたが、堕落人間の心の中にはややもすればこの偶像が棲み易いのです。堕落人間の偶像にはいろんな偶像があり、スターに憧れる偶像、ブランド品に憧れる偶像、家の偶像、名門名家に憧れる偶像、ありとあらゆる偶像に支配されているというのです。その偶像が、キリストを忘れさせ見失わせてしまうのです。
ですからパウロは、偶像の全てを断ち切って荒野に立ちながら、岩を打って水を出させた奇跡を回顧しながら、あの岩はキリストそのものであり、そのキリストから流れ出る水を飲んだ祖先の子孫であることを忘れてはならないと訴えるのです。
私達もまた、荒野に立つ亨進二代王様より奇跡的な祝福の水をいただいた存在です。しかしそんな私達でも、今後偶像礼拝に陥らないという保証はどこにも無いのです。
偶像は神ではありません。その神でもないものへの礼拝と礼賛は己を滅ぼすだけのものに過ぎないのです。
ですから、岩であるキリストの水こそ自分自身を生かす水となるのです。その天の父なる神が与える水ならば、それが苦かろうが甘かろうが、全てを消化して行くぐらいの気概で生きて行きたいものです。
ローズマリーの匂いを嗅ぎながら、そんなことを思う朝です。