✳️2018年8月1日(水曜日)

✳️2018年8月1日(水曜日)
✳️天基9年・天暦6月20日

🔷今朝のみ言葉🔷
あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。わたしは人からの誉を受けることはしない。しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている。わたしは父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受けいれない。もし、ほかの人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるのであろう。互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。

(新約聖書.ヨハネによる福音書.第5章39-44節より)

[山口聖殿ニュース]
今日から山口聖殿でセミナーを行います。
時間は朝の9時から12時迄、参加費は任意の献金、極力聖書持参、若い人・初めての人歓迎。
8/1 聖書でみるアダムの家庭
8/2 聖書でみるノアの家庭
8/3 聖書でみるアブラハムの家庭
8/4 聖書でみるモーセの路程
8/7 聖書でみるギデオンやサムソンの人生
8/8 聖書でみるダビデの人生

8️⃣ おはようございます 🍧🏊‍♀️🏕🌻
激動の7月の時を超え、今日から2018年の8月が始まりました。八数は出発の数でもあります。新たな出発の決意とともにこの月を始めて行きたいものです。
今朝の聖句は、ヨハネによる福音書に見られるイエス様のみ言葉です。この中にあるイエス様のみ言葉は、実に深刻かつ率直で辛辣とも言える言葉です。
その中には、
“あなたがたは聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は私について証をするものである。しかもあなたがたは、命を得るために私のもとにこようともしない。“
とあります。聖書は私について証をするものだ…これがイエス様の主張です。
これは実に率直な表現です。確かに旧約聖書の全ての内容の結論は、イエス・キリストの降臨について語るものです。それが旧約聖書の目的であり結論なのです。
それは新約聖書も同じであり、原理も同じです。新約聖書の目的は再臨主の降臨であり、原理教育の結論は再臨主の証であるのです。
ですから、旧約・新約聖書66巻は再臨主について証をするものである…という言葉が成立するのです。
しかし、にもかかわらず、イエス様の嘆きは、“あなたがたは命を得るために私のもとに来ようともしない…“と、これが嘆きなのです。同様に、再臨主についても同じことが言えるのです。
イエス様は語ります。
”私は人からの誉を受けることはしない。しかし、あなたがたの内には神を愛する愛がないことを知っている。私は父の名によってきたのに、あなたがたは私を受けいれない。“
実に辛辣な言葉ではないでしょうか!
人はややもすれば人からの誉を求めます。人からの誉さえあれば、神からの誉などどうでもよいと考えるのです。そのような人々の中には、神を愛する愛がないのです。人の顔色は伺ったとしても、神様の顔色を伺う道を放棄するのです。
亨進二代王様は、まさしく父であられる再臨主の名によって来られた方です。しかしたとえ父の名によって来た立場であったとしても、その方を受け入れない不真実な者達がその周囲にうごめくのです。
結論的にイエス様も語ります。
”もし、他の人が彼自身の名によって来るならば、その人を受け入れるであろう。互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。“
2000年前のイエス様の周りにうごめいた不信仰なユダヤの者達も、自分こそ正しく信仰者であることを自負する者達でした。同時に今日、亨進二代王様を非難し否定する者達も、自分達こそ正しく原理を継承する者達であると語り、信仰者はこうあるべきだと語ります。そしてそうしながら、徹底して人の誉を追求して行こうとするのです。
イエス様の道は悲惨でした。同時に再臨主の道も悲惨であり、再臨主の後継者代身者の道も悲惨なのです。
しかし、その悲惨さは、単なる悲惨に終わるのではなく、いつの日か大いなる勝利と神の栄光のみ業へと結ばれて行くのです。
8月を元気に出発して行きましょう!
神様は、亨進二代王様を通じて、その栄光を現して行こうとされておられます。