✳️2018年7月7日(土曜日)

✳️2018年7月7日(土曜日)
✳️天基9年・天暦5月24日

🔷今朝のみ言葉🔷
すべて主をおそれ、主の道に歩む者はさいわいである。
あなたは自分の手の勤労の実を食べ、
幸福で、かつ安らかであろう。
あなたの妻は家の奥にいて、
多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、

あなたの子供たちは食卓を囲んで、
オリブの若木のようである。
見よ、主をおそれる人は、このように祝福を得る。
(旧約聖書.詩篇.第128篇1-4節より)

[山口聖殿ニュース]

7️⃣ おはようございます 🌵🍉🥋🏄‍♂️
昨日は降り続く水の災いが日本の多くの場所にあり、恐怖の中に過ごした方も多かったと思います。そんな中で、地下鉄サリン事件の首謀者達の処刑も行われるという平成時代の日本史の一つの区切りの日でもありました。
今日7月7日は、本来ならば七夕祭りの日でもあり、夜空に浮かぶ天の川に賢竜と彦星の星を探す一日でもあるはずなのですが、七月の始めより続いている曇りと雨のこの日々は、夜空に星を探す日常を奪ってしまうほどの感覚です。
幸せとは今朝の聖句に見られるように、安らかな家族の姿に見られる生活であるに違いないのですが、そのような生活がどのようにして成されるのかとするならば、主をおそれる人の中にあると聖書は教えているのです。
人は一般的に、自然の災害に恐れを抱き、或いは計り知れぬ人災にも恐れを抱きます。今やオウムという名を聞いただけで、恐怖の思いにとらわれる人さえいるに違いありません。
このように人の恐れの感覚は、自然や人に対してもたらされやすいのですが、天地の主宰であられる創造の主を恐れるという感覚を、心深く携えながら生きる姿勢を私達は見失いがちなのです。
聖句には、“すべて主をおそれ、主の道に歩む者はさいわいである。”とあります。
主をおそれ主の道に歩むことがどれほど大切なことであるかについて、私達は気付いて行かなければなりません。
私達の日常の生活に幸福と安らぎの原点を探すとしても、主をおそれない生活と姿勢の中にその道を探そうとするならば、真実なる幸福には至り得ず、危険と危機とが絶えず身に迫っていると言えるに違いないのです。
主をおそれる私達でありたいものです。主をおそれながら、主とともにあるとするならば、確かなしあわせの生活が私達の前途を照らしてくれるに違いありません。