✳️2018年7月6日(金曜日)

✳️2018年7月6日(金曜日)
✳️天基9年・天暦5月23日

🔷今朝のみ言葉🔷
こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。
『あなたがたは、聞くには聞くが、
決して悟らない。
見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍くなり、

その耳は聞えにくく、
その目は閉じている。
それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、
心で悟らず、
悔い改めていやされることがないためである』。
(新約聖書.マタイによる福音書.第13章14-15節より)

[山口聖殿ニュース]

7️⃣ おはようございます 🌵🍉🥋🏄‍♂️
激しい雨の朝です。ザァーという雨音だけが、暗い朝を覆い尽くしてどんどん迫って来ている感じです。7月に入ってまだ晴れの日はありません。6月中旬には、大阪での地震もありました。いつどこでどんな事態が起こるかも計り知れません。心しながら日々を過ごしたいものです。
皆さんにもお伝えしてあるのですが、先週の水曜日の亨進二代王様による韓国語礼拝の中で、亨進二代王様は来年の祝福式に関して言及されながら、その時は偉大なる歴史的な転換点となると語っておられました。そして私達に、
“目を閉じている者は目を開け!
耳を塞いでいる者は耳を開け!”
と、檄を飛ばされました。
預言者の警告はいつの時代にもあるのですが、民の心はいつでも鈍くなり、見ても見えず、聞いても聞こえない状況があるのです。そしてそれは、私達サンクチャリアンでさえも例外ではありません。
亨進二代王様が、目を開け!耳を開け!と語っているのは誰に対してでもありません。私達サンクチャリアンに対してです。
問題なのは、私達自身が亨進二代王様の思いに叶っている私達自身であるのか否かです。おそらく私達は、真に亨進二代王様の心に叶う歩みの中にないのではないかと思われます。ですから二代王様は、私達の目を開けたいと願っているのであり、私達の耳を聞こえる状態にしたいと真剣なのだと思います。
昨年の9月初めのペンシルバニアでのサンクチャリ本部の礼拝で、誰も王冠を被らずに礼拝に参加している状況を見た途端、二代王様から激しい叱責の言葉が溢れて止まりませんでした。私達は、新たなる摂理と天運に対する悟りがなかったのです。翌週の礼拝には皆が王冠を被り、そして康賢実オモニの登極に連結され、そして基元節での奇跡的なメディア報道を通じて王冠は、世界に証される状況にまで至ったのです。
自分の感情や思いがどうであるとかこうであるということで左右される天のみ旨ではありません。王冠や鉄の杖というものは、私達の思いを超えた次元における天のみ旨であるのです。
そこには、新たなる自己再創造に対する謙虚な姿勢が求められます。その謙虚さをもって、見るべきものを見つめ、聞くべきことを正しく聞いて、悟るべき心をもって行かなければならないのが私達の道であるに違いないのです。