✳️2018年7月4日(水曜日)

✳️2018年7月4日(水曜日)
✳️天基9年・天暦5月21日

🔷今朝のみ言葉🔷
あなたの手に善をなす力があるならば、
これをなすべき人になすことを、
さし控えてはならない。
あなたが物を持っている時、その隣り人に向かい、
「去って、また来なさい。
あす、それをあげよう」と言ってはならない。

あなたの隣り人がかたわらに安らかに住んでいる時、
これに向かって、悪を計ってはならない。
もし人があなたに悪を行ったのでなければ、
ゆえなく、これと争ってはならない。
暴虐な人を、うらんではならない。
そのすべての道を選んではならない。
よこしまな者は主に憎まれるからである。
しかし、正しい者は主に信任される。
主の、のろいは悪しき者の家にある。
しかし、正しい人のすまいは主に恵まれる。
(旧約聖書.箴言.第3章27-33節より)

[山口聖殿ニュース]

7️⃣ おはようございます 🌵🍉🥋🏄‍♂️
雨や風は、今は止んでいるのですが、怪しい黒雲が今なおたなびく今朝の山口です。散々風にあおられた木の枝が、重たい葉裏を見せながらだらしく木にぶら下がっています。
今朝の聖句は箴言からですが、“あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない!”という聖句が目に止まりました。
お父様のみ言葉の中にも、“善は条件なくして与えることである!”とか、“常に善なる心と哀れみの心を持ちなさい!”などのみ言葉があります。
人が善に生きる!ということは、何にも増して基本的に大切なことであり、重要なことであるということは言うまでもありません。善悪の判断の基地は、いつでも私達自身の中にあります。その判断の基地を有効に働かせて完全なる善の立場を追求して行かなければなりません。
お父様のみ言葉によれば、完全なる善の立場で生きる人は、神を所有した人である…とまで語っておられます。神を所有するとは大した言葉です。事実真のお父様はそのような方でありました。お父様は、私達にもまた、そんな人であってほしいと願っておられるに違いありません。
聖書の中には、多くの人々が悪と不義の中で生きていることを否定しません。実際私達の社会の中にも、不義や悪は、その権勢を大きく広げて、ややもすればその悪なる地獄の霊でこの社会を満たしてしまおうとする意思に溢れています。しかし私達は、その悪に負けてはなりません。
私達の手には、善を行う力を増し加えるべきであり、成すべき善を成せる人となって行くべきなのです。
そしてこれらは、決して強制ではありません。善の背後に愛があるので、感謝と喜びの思いが善の要因であるためです。
ですから、今日成すべき善を、明日に引き伸ばしてもいけないのです。何故なら、今日あるべき愛が、明日には流れて行ってしまうかもしれないからです。