autumn (44)

✳️2017年10月28日(土曜日)

✳️2017年10月28日(土曜日)
✳️天基8年・天暦9月9日

🔷今朝のみ言葉🔷
時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
(旧約聖書.創世記.第12章1〜2節より)

[山口聖殿ニュース・礼拝案内]
🔹第14回公開礼拝・2017/11/12(日)
🔹第15回公開礼拝・2017/12/17(日)
🔹第16回公開礼拝・2018/1/14(日)
(※場所はカリエンテ山口です)

🔟 おはようございます 🍏🍁🏃🏻🌰
イチョウの木も少しずつ黄色みを帯びて来ました。再び台風が近づいているからでしょうか!白い小雨の朝です。
氏族メシヤという言葉が語られて久しいのですが、この言葉を思う度に、神様がこのアブラハムを祝福された時のこの聖句を思い起こします。ある意味では、聖書物語は、このアブラハムを祝福した場面から始まったと言っても過言ではありません。
この召命された時のアブラハムの年齢はすでに75歳であり、妻サラと甥のロト家族と従者達を連れてのカナンに向けての旅立ちとなりました。その時の一歩が、神様から召命を受けた氏族のメシヤとしてのアブラハムの道が始まった瞬間でした。
どんな時でも、私たちに与えられた神様からの瞬間の時というものがあります。祝福の中心家庭という名で神様に祈り始めた瞬間から、私達には、これまで人々が体験したことのないようないろいろな経験を重ねて行くようになるのです。
原理の教えの中にある復帰原理という明確な指針のない時代においてさえ、アブラハムは神様からの召命の道を、祈りながら、尋ねながら、思考錯誤しながら、時に苦悩し絶望の淵に追いやられながらも歩み抜いて行きました。ある意味では、イサク献祭という氏族根絶の絶望的な危機の中からイスラエルの選民史が形成されて行ったのです。氏族のメシヤとして立つ道とは、どれ程の困難さが伴う道でしょうか?想像だに出来ません。
しかし、その道を歩んで来られた先人の土台の上に私達は立てられています。見習って学びながら行く以外ありません。
お父様は神様の代身の立場から、私達を氏族のメシヤとして召命して下さいました。そして王冠を被らせ、鉄の杖を手にとって前進せよ!との命を下さっているという偉大なる召命に預かっている私達なのです。
歩めるか?歩めないか?…、しかし、行く以外選択のない境地の中に、実は立たされている私達なのではないかと、そのように思うのです。