summer (90)

✳️2017年7月15日(土曜日)

✳️2017年7月15日(土曜日)
✳️天基8年・天暦5月22日

🔷今朝のみ言葉🔷
神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。

(聖フランチェスコ-平和の祈り-より)
[山口聖殿ニュース・礼拝案内]
🔹第11回公開礼拝・2017/7/16(日)
🔹第12回公開礼拝・2017/8/6(日)
🔹第13回公開礼拝・2017/9/17(日)
🔹第14回公開礼拝・2017/10/8/(日)
(※場所はカリエンテ山口です)

7️⃣ おはようございます 🏕🍉🐳🌻

朝もやの中でセミが鳴いています。土曜日の朝です。
同時性の時代における東西王朝分裂時代は、東西フランク王国としての分裂のみならず、ローマンカトリックとギリシャ正教会の分裂など、キリスト教社会の負の遺産が噴出した時代でもありました。
権威を持った教皇庁やキリスト教社会は、宗教組織が政治組織と結びついて民心を操る手段のように形骸化して行き、教会自体内における腐敗や堕落は日常性を帯びて形ばかりのキリスト教が社会全体を覆う時代となっていたのです。
そのような中で、かつて南北王朝の分裂の時代に数多くの預言者達が現れ、不信仰に陥るイスラエルの民に対して神様への回帰を訴えたように、この東西王朝の分裂時代においても、キリスト教の原点であるイエス・キリストの教えそれ自体に立ち帰ることを訴えそれを実践する者が現れてきたのですが、それが聖フランチェスコでした。
今朝の聖句は、”聖フランチェスコの祈り”として世に知られてきた言葉です。
彼は1182年、中世イタリアのアッシジという町の裕福な毛織物商人の子として生まれ、若い頃は気前の良い散剤家で享楽的な生活を楽しむような男でした
そんな彼が、近隣諸国との戦いに参戦して捕虜となり一年に渡って幽閉され帰国して病気になりその病気が癒える頃より、彼の中に異変が生じ始めるのです。
彼は小鳥に話しかけたり、ライ病人を抱いたり、果ては父の毛織物を持ち出しては売り払ってそのお金を貧しいものにばら撒いたり…、遂には、怒った父親と公衆の面前で決裂し、自分の着物全てを脱いで父親に差し出しながら、一人の修道士であり神の子として、裸のイエス様の前に裸で向き合う道を選ぶのです。
以降、滅びた教会のレンガを積み上げたり托鉢僧として家々を回り歩いたりしながら、フランチェスコは「神の国は近づいた」と語り続け、イエス様のみ言葉に忠実に清貧と慈愛の実践をもって伝道し続けて行くのです。そんなフランチェスコは、初めは人々の物笑いの種となりながらも、遂には人々を感化して一人二人と彼のもとに人が集まって来るのです。
彼の弟子達が12名に達した時、フランチェスコは、ローマ教皇庁にて当時のローマ教皇インノケンティウス三世との謁見を求め、自分たちの活動の許可を求めて行くようになるのです。
権威と華美に満ちたローマ教皇に、ボロボロの修道服を纏った修道士達が近づくと、人々は鼻をつまみ顔をしかめて嫌悪するのですが、教皇は彼らの活動に許可を与えます。ここにフランチェスコ修道会の道が許され、遂には大きく成長し、カトリック教会を内面的に支える聖フランチェスコ修道会となって行くのです。
フランチェスコは、ローマンカトリックの腐敗や堕落を切り落とす刀でした。もう一度本質に立ち還れ!と叫ぶイエス様の声だったのです。このフランチェスコの刀は余りにも鋭く、遂にはこのフランチェスコ修道会からオッカムの剃刀が生まれ、キリスト教それ自体を切り裂いて行く宗教改革期を迎えて行くようになるのです。
それにしてもこのフランチェスコの祈りの言葉は、多くの人々の平和へのメッセージとして引用されてきました。決してフランチェスコ自身の言葉ではありませんが、彼の精神を表す言葉として、また普遍的に人間の根底を揺さぶる言葉として、私達もまた記憶して行きたいものです。