summer (91)

✳️2017年7月14日(金曜日)

✳️2017年7月14日(金曜日)
✳️天基8年・天暦5月21日

🔷今朝のみ言葉🔷
主はこう言われる、
「天はわが位、わが足台である。
あなたがたはわたしのためにどんな家を
建てようとするのか。
またどんな所がわが休み所となるのか」。
主は言われる、
「わが手はこれらの物を造った。
これらの物はことごとくわたしの物である。
しかし、わたしが顧みる人はこれである。
すなわち、へりくだって心悔い、
わが言葉に恐れおののく者である」。
(旧約聖書.イザヤ書第66章1〜2節より)

[山口聖殿ニュース・礼拝案内]
🔹第11回公開礼拝・2017/7/16(日)
🔹第12回公開礼拝・2017/8/6(日)
🔹第13回公開礼拝・2017/9/17(日)
🔹第14回公開礼拝・2017/10/8/(日)
(※場所はカリエンテ山口です)

7️⃣ おはようございます 🏕🍉🐳🌻
薄曇りの朝となりました。ここ山口はそんな朝ですが北海道や東北は猛暑と聞いています。北と南が逆転しているようです。
昨日は、キリスト王国が東西王朝へと分裂したことを学びましたが、今朝は政治的な分裂だけではなく、キリスト教界自体の分裂にも目を注いで見ます。
ローマ帝国迫害時代を超えて、コンスタンチヌス大帝によるキリスト教の承認や、テオドシウス帝によるキリスト教の国教化となる時代に至るまで、キリスト教の人達は肩を寄せ合って一つとなって生きて来ました。
しかし、キリスト教がローマ帝国の護国宗教のような状態になると教派闘争が激しくなり、325年にはニカイア公会議が開催され、ユリウス派は異端でありアタナシウス派が正当としてキリスト教の一本化がはかられ、ユリウス派は排斥されました。
その後、ローマ教皇庁を中心とする教区長制キリスト教会時代を迎え、ローマ帝国は五大教区(五本山)に分立する時代となるのですが、その教区にも中心があり、西はローマ教会、東はコンスタンチノープル教会としてその教区を大別し主導権を主張するようになります。
そして726年、コンスタンチノープル東方教界の皇帝でもあり教皇でもあったビザンツ帝国皇帝教皇のレオン三世による聖像禁止令がローマ教区を刺激し、その禁止令への拒否という形で東西教区の対立の構造を作って行くのです。
聖像禁止令とは、教会において聖像の崇拝を禁止しその破壊を命じる法令です。これは、台頭してきたイスラム教徒達が、キリスト教はいろんな像を飾り偶像を崇拝しているとの批判に耐えられなくなったキリスト者の意向を反映したものと言われていますが、実際は、肥大化してゆくキリスト者の特権を剥奪して、レオン三世が思うような市民・軍隊組織を構築したかったためと言われています。ローマ教区はこれに反発し、フランク王国と一つになりこれを拒否してローマ教皇庁の優位を主張する方針を立てて行きました。
そして、1054年、遂に東西教区は互いに決定的な離縁状とも言える相互からの破門宣言を叩きつける事態へと至るのです。これは、ローマ教皇庁の優位権を主張する使節として派遣された枢機卿フンベルトに対して、コンスタンチノープル総主教のキルラリオスが非礼に振る舞い、フンベルトが破門状を叩きつけたことが要因と言われています。
以来ローマ教会は、西はローマ・カトリックとして西ヨーロッパを中心に発展し、東はギリシャ正教会として東欧あるいはロシヤを中心として発展し、同じキリスト教とはいえ全く異なる宗教形式、信仰内容、組織体制となってきたのです。