ペンシルベニア本部礼拝・세계본부예배

●二代王「行いの無い教会は死に行く教会」2019.5.1

Author
fujio kim
Date
2019-05-03 20:05
Views
97


●行함이 없는 敎會는 죽어가는 敎會
行いの無い教会は死に行く教会
(日本語, 9分)
https://youtu.be/me_V0SjKjjE

時:2019年5月1日水曜日
場:韓国語礼拝
所:天一宮スタジオ

二代王:

若い人たちを訓練させられ若い人たちが責任感を学びだんだん私を通じながらより恐ろしい内容も教えようとされる(アボニム)。

自由と責任。自由はただ自由としてあるのではありません。自由には責任があります、責任。責任を守らなければ自由がなくなってしまいます。自由に責任があるように信仰には行いがあります。行いがなければ信仰がなくなるのです。

ですから、国を保護する為に隣人(となりびと)を保護する為に、しなければならない時には自分の命(いのち)を隣人の為に死ぬ事ができるそんな心。

継続訓練しながら平和警察訓練を継続して行きながら羊飼いの訓練。平和軍警察は羊飼いの訓練です。牧者の訓練です、牧者。自分が世話をしている羊達のために死ぬことのできる心。訓練です。訓練場。道場だけではありません。牧者の道場です。牧者の。

ですから、平和軍警察が子供たちがより強い心と健康な生活をさせるだけじゃなくハナニムに似た牧者の心、心情を植えてやるのです。自己より大きなものの為に良いアベル圏警察、良いアベル圏軍人のように、自分の命を差し出す事のできる人。

銃器所有するになればその内容をしなければなりません。鐵杖(てつじょう)を持って歩くならば、その決定をしなければなりません警察のように。

もしも私が死ぬ時も、貧しい者達、孤児達、不幸な人の為、罪の無い人達を救う為に、私が死ぬ事もできる、そういう決定をしなければなりません、銃器所有する時には。

なぜ?銃器には、鐵杖にはそんな恐ろしい内容があるから。そんな深刻な決定をしなければなりません。遊びではありません。大きな自由と大きな責任があるのです。その責任によって国が保護されるのです。責任を果たさない民族は国が保護を受けません。消えてしまいます。

それと同じように行いのない教会は死にゆく教会です。

信仰と行い、自由と責任。これが天一国とハナニムの王国の新しい二つの翼のように、いっしょに羽ばたく役をします。

こういう驚くべき歴史を今、掘って掘って研究して入って博士(はくし)達と一緒にこんなに驚くべきを歴史を発見しながら、今、基督教世界を完全に悟らせるのです。

再びイエスニムに帰って行くことのできる基督教。再び聖經(せいきょう・せいけい)に出てくるハナニムに帰って行く事のできる、アブラハムのハナニム、ヤコブのハナニム、イサクのハナニム、イエスニムのハナニムに帰って行く事のできる基督教。

その基督教は末世(まっせ)にどのようになるか。鐵杖(てつじょう)王国を責任持つようになります。鐵杖で来る国を治める責任の為。

ヨハン啓示録1章5節から6節の王と祭司長になってしまうのです。それこそ、この王冠がそれほど恐ろしい意味があるのです。恐ろしい責任があるというのです。

ヨハン啓示録1章5節6節
地上の諸王の支配者であるイエス キリストから、
その血によってわたしたちを罪から解放し、
わたしたちを、御国の民とし、祭司として下さった方に、
限りなく栄光と権力とがあるように

自分を自慢する為にして、よく見させる為にして、何、自我を充足させる為ではありません!

恐ろしい責任があります。すべての宗族(そうぞく)王と王妃達の王冠に恐ろしい責任が込められています。ハナニムの国を保護しハナニムの王国を(保護する)牧者のように。命をかけて保護する責任があります。


ですから、平和軍警察訓練が大変重要です。年が幼くても老いても、平和軍警察はどんな次元でもしなければなりません。

それが私達がただ自由だけじゃなくて私達が負うべき責任ですそれが私達は信じる事だけでなく行いもしなければなりません。

そういう内容を通しながら羊飼いの文化。牧者の文化。ハナニムの王国と文明圏を保護する愛国者の文化。そういうものがハナニムの相続者達の秋収(しゅうしゅう・추수=秋の刈り取り)、秋収という意味です。

自由にいつも責任があるように、信仰にいつも行いがなければなりません。

皆さんも今週にみんないっしょにそんな熱情の心で平和軍警察を熱心にされ訓練されて、そんな激しい運動とそんな内容ができなくても小さい内容でもされて、中村ハルモニといっしょに銃器所有、行って練習するとか。

信仰だけではだめで、行いをしながらより良い羊飼いとより良い牧者、宗族王と王妃になることができるよう、アボジの大きな愛と恩恵・恩寵(おんちょう)が充満されるよう祈願します。我主(アジュ)、我主、我主。

それでは次の礼拝でお会いしましょう。