2015/1/21(水曜日)

2015/1/21(水曜日) *天一国2年 天暦12月2日 ~ 今日のみ言葉 ~ “信仰の道を行く人達は、信仰の道を行かない一般人達と根本的に違わなければなりません。彼等は自分を中心として生きたとしても、信仰の人は全体の為に生きなければなりません。” (み旨の道ー信仰生活ーより) おはようございます 静かな曇りの空がどこまでも続く朝です。一羽のカラスが左の空から右の空へずうっと飛んで消えて行きました。

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2015/1/20(火曜日)

2015/1/20(火曜日) *天一国2年 天暦12月1日 ~ 今日のみ言葉 ~ “皆さんが本を見て説教を準備する時、その本の中に神様がおられますか?神様は神霊の中におられるために、神霊を通じなければならないということを知らなければなりません。” (み旨の道ー説教ーより) おはようございます

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2015/1/19(月曜日)

2015/1/19(月曜日) *天一国2年 天暦11月29日 ~ 今日のみ言葉 ~ “愛に通じる経済、愛に通じる外交、愛に通じる文化など、全ての活動が愛に通じたものでなければなりません。” (み旨の道ー教会生活ーより) おはようございます 郷里岩手の実家は今朝も雪です。昨日は走り殴りの吹雪でしたが、今日の雪は音も色も消すようなしんしんと降り続く雪です。

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2015/1/18(日曜日)

2015/1/18(日曜日) *天一国2年 天暦11月28日 ~ 今日のみ言葉 ~ “統一教会の原理を学ぶという事は、先生がどんな人であるかを知るためなのです。” (み旨の道ー教会ーより) おはようございます 雪が舞う吹雪の朝です。久方ぶりの郷里の朝は雪に埋もれ、風が横殴りに走っては視界を遮ります。 裏庭に立つ一本の楢の木が、多くを語らず立ち続けています。 今朝のみ言葉は教会の章です。原理を学ぶ理由について語るものです。 ここに帰れば、ここから旅立った45年もの歳月を思い出します。その歳月の多くの時間が、統一原理の学びの期間として過ぎ去りました。 その学びを通じて、お父様がどんな方であるかを知ろうとし続けている自分があります。 原理本体論に出会ってからは、既に5年の時が流れました。そして未だに原理本体論を通してお父様を知ろうとし続けているのです。 悟りが鈍く不器用なのです。時代は刻一刻と発展し過ぎて行くとしても、そこに留まった課題があれば、そこに帰ってしまうのです。 今日は朝から雪、雪、雪、又雪です。45年の月日が流れても、雪の景色に未だ変わりがありません。

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2015/1/17(土曜日)

2015/1/17(土曜日) *天一国2年 天暦11月27日 ~ 今日のみ言葉 ~ “従順、服従、屈服したとしても全て成したと言うのではありません。その次には生命迄も投げ出さなければならないのです。” (み旨の道ー従順ーより) おはようございます 今日も外気は冷たいのですが、しっかりと太陽が昇りました。2015年の日々も刻一刻と進んでいます。 昨日は横浜港に good go が入港したはずです。静かにお父様が舟と共に日本に上陸した感がします。 1月16日、それは記念すべき一日として私達の心の中に止めて措くべき一日であるかも知れません。それは、み言葉と信仰と実体が一つになった一日だったからです。 パラグアイで生産された舟が日本に入港する!、そこにはお父様のみ言葉、佐藤社長の信仰、そして海洋摂理に参加した全員の現実的な精誠が一つに結集した結果なのです。 お父様はその舟に乗って日本に入ってこられた…、これが現実的な摂理観です。 今朝のみ言葉は従順です。 従順、服従、屈服したとしてもそれで全てではなく、生命さえも投げ出せ!それが今日のみ言葉です。 首を差し出してこそ、真なる従順と言えるのだというのです。 自分の首を差し出さず、人の首を要求して自分の首を守ろうとするものを神様は決して喜ばないのです。 バチカンに並ぶぺテロの像もパウロの像も、神様にとって真なる誇りとはなり得ません。 それでは成約時代の誰に、神様はその喜びと誇りを見出だしたい神様でしょうか?それは間違いなく神様が祝福した祝福家庭の人々であるに違いありません。 しかし、だからといって、全ての祝福家庭が神様の誇りと成りうるでしょうか? 舟が入港しました。ここに現実があります。この現実を私達は確認して行かなければなりません。それは、信仰と従順と精誠の結晶なのです。

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2015/1/16(金曜日)

2015/1/16(金曜日) *天一国2年 天暦11月26日 ~ 今日のみ言葉 ~ “艱難途上で祭物として立てられて行く人は、自身に罪があって祭物となるのではありません。神様が現在よりもっと大きな分野を開拓して行くために祭物的な場に追いやるのです。” (み旨の道ー祭物ーより) おはようございます キリリッと晴れ渡った朝となりました。空気も澄んで爽やかです。 今朝のみ言葉もある意味でキリリッとしたものです。神様の事情によっては艱難途上で祭物となる使命に立つ人もいる!という話です。 艱難途上で祭物となる!という事は決してありがたい話ではありませんが、神様の為ならば仕方がないとして堂々と笑って立つ人がいるとすれば、神様は慰めを得るに違いありません。 祭物は、裂いて血を流して捧げられるものです。その中には痛みが伴います。しかし祭物を通して開拓されてきた神様の摂理だったのです。新たな分野の開拓には、神様自身が先に自らを裂きながら出て行くのです。 旧約前の時代から旧約時代へのアブラハム、旧約時代から新約時代へのイエス様、新約時代から成約時代へのお父様、全て祭物として血を流して歴史の中に立った方々です。神様が共に祭物としてどれ程の心情を裂いて行ったのか計り知れません。 さて、陽が昇りました。社会も明るく前進しています。今日を越えて明日に向かいましょう!今日の祭物は明日を切り開くのです。

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2015/1/15(木曜日)

2015/1/15(木曜日) *天一国2年 天暦11月25日 ~ 今日のみ言葉 ~ “神様の側にいる善なる霊や善なる人達がサタン世界から抜け出る時までは、行けば行くほどより大きな犠牲の代価が待っているのです。” (み旨の道ー試験と試練ーより) おはようございます 朝焼けの雲が静かに空にたなびいています。既に今日は15日、1月の中日となりました。 今朝のみ言葉も冬の寒さと相まって厳しいみ言葉です。 神側にいる人は、サタン世界から抜け出るまでは行けば行くほど犠牲の代価を払う!というものです。 サタンは酷いのです。恐ろしいまでに残酷な勢力を行使するのです。サタンを安易に考えることは出来ません。そんなサタン世界を抜け出そう!と言うのです。ある意味で、覚悟が要るのです。 ここ数日、世界では悲しいテロの事件の報道がありました。テロリスト達に誘拐された中東やアフリカ諸国の女の子達が爆弾を背負わされて強制的に殉教のテロを強いられているというものです。 悲惨なニュースです。どれ程悲劇的な事でしょう!神様とすれば如何にこの事態を収拾しようとするのでしょうか? 世界が一つの共同体であるかのような思潮が多いものの、世界にはまだまだ平和は訪れていません。闘いと葛藤の歴史が未だに続いているのです。 人知れず苦労の代価を払い、人知れず犠牲の血と涙を流し、人知れず心を痛め祈る世界は無駄ではありません。その世界は神様の心情に通じるのです。 神様が、その権限を行使できる善の範図を拡大して行かなければならないのです。犠牲の代価を恐れずに、善が果敢で大胆でなければなりません。そうしてサタン世界を抜け出して行かなければならないのです。

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2015/1/14(水曜日)

2015/1/14(水曜日) *天一国2年 天暦11月24日 ~ 今日のみ言葉 ~ “皆さんを苦労させる目的は、統一教会の文先生が良くなろうというのではありません。天の国が訪ね来ることの出来る軌道を正しく立てるためなのです。” (み旨の道ー苦労ーより) おはようございます 静かにゆっくりと空が白みがかって明けてきました。雲が全体にかかれども穏やかな朝です。 今朝のみ言葉は苦労の章です。文先生が私達を苦労させる目的は、天の国が訪ね来ることの出来る軌道を正しく立てるためだ!というのが主旨です。 言葉を変えて言うならば、天の国が訪ね来る軌道をキチッと立てるためにも苦労をしなさい!というようにも聞こえます。 お父様は、苦労で始まった自分の人生なので苦労で終わろう!とも語り、最期まで苦労の道を厭わなかった方です。何か私達にも新しい姿勢が必要です。 神様はとてつもない程の苦労の神様のようです。救いの摂理を完成させようと、6000年にも亘る苦労の道を開拓して来られた神様の心情は余りにもはかり知れません。 お父様はこうも語られました。どんなに苦労したとしても私の苦労はせいぜい100年足らず、6000年の神様の苦労は到底計り知れない!と…。 今年はどんな苦労があるでしょうか?本体論教育の苦労、海洋摂理の苦労、創造の神様は創造の喜びの中でさえ苦労の道を開拓して来られた神様でした。 今年はもっと多くの苦労をして行きたいものです。苦労の道を開拓して行くとするならば、もっと多くの苦労の道を恋しく思って前進したいものです。 その道に立って天の国が訪ね来ることの出来る軌道が出来て行くとすれば本望だとして苦労を求めて行けば、神様も少しは慰められるのかも知れません。

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2015/1/13(火曜日)

2015/1/13(火曜日) *天一国2年 天暦11月23日 ~ 今日のみ言葉 ~ “先祖が残しておいた罪に対する責任感を10分でも考えた事がありますか?そんな考えが無かったとするならば、罪を残した先祖を嫌う神様の目で見る時、皆さんは善い人であるのか悪い人なのか?彼等と同じ人であるために、先祖が地獄へ行ったとすれば、皆さんも地獄へ行かざるを得ないのです。” (み旨の道ー責任感ーより) おはようございます すっきりと晴れ上がった冬の朝です。正月も過ぎ成人式も終わり、いよいよ今日から実質的な2015年の始まりとして職場に足を運ぶ人も多いことでしょう。 今朝のみ言葉は責任感です。強い責任を促すみ言葉です。その中でお父様は、先祖の犯した罪に対する責任を10分でも考えた事があるのか!と私達の姿勢を問うのです。 10分という時間は長い人生の中ではほんの瞬間です。サウナの中でさえ10分という時間はすぐ過ぎ去るのです。 その10分でさえ、先祖の罪の責任を己の責任として悶え苦しみ懺悔する瞬間を持ち得ないまま霊界へ行く人が多いというのです。 先祖の罪と言えば何代前の話でしょうか?日本の天皇家でさえ、神武天皇の代から数えて現在の今上天皇が125代目です。およそ2000年前後の代を数えます。人類の先祖のアダムとエバの御代と言えば確実にその倍は越えます。 その責任を責任として感じるのか?という話なのです。お父様のみ言葉は人がバカではないか?と考えるほどの尺度です。 しかしその先祖の罪を己が責任として考えて始めて、歴史を清算する資格ある者となれるのだ!と教えるのです。 お父様はどれ程、その先祖の犯した罪に対する責任を己の責任として痛く感じ、それを清算し克服するために身悶えして来られた方だったでしょうか? その生涯、10分が10時間、100時間どころではない歳月を、再臨のアダムとして、多くの血と汗と涙を流して過ごされた方であることを私達は知らなければなりません。 さて私達は如何でしょう?10分の課題を克服しているでしょうか?さめざめと悔い改めて責任の思いを抱く10分が有るとすれば、私達の未来に地獄の霊界は無いのです。

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